幸野楳嶺 斎竹図
【作品について】
月夜に照らされる竹と注連縄。この作品からは祇園祭を連想させます。
祇園祭の山鉾巡行で長刀鉾の稚児が注連縄切りを行いますが、その注連縄を張っている竹が斎竹だからです。
斎竹とは神事の時に不浄を防ぐために斎み清める場所に立てます。
【作者について】
幸野楳嶺(1844−1895)
日本画家。京都に生まれる。
本姓は安田。本名は直豊。字(あざな)は思順。号は楳嶺。別号に鶯夢、長安堂、鶴鹿園などがある。
9歳で円山(まるやま)派の中島来章(らいしょう)の門に入り、梅嶺と号した。
その後さらに四条派の塩川文麟(ぶんりん)につき、号を楳嶺と改めた。
明治維新のころは極貧であったが、漢籍を神山鳳陽に学び、また文人と交わり、
中西耕石、前田暢堂に南画を学んで一家をなし、とくに花鳥画を得意とした。
1880年(明治13)に望月玉泉(ぎょくせん)らと京都府立画学校を設立し、出仕した。
また京都青年絵画研究会、京都美術協会を組織するなど、日本画の発展と後進の指導に尽力した。
その門より京都画壇を代表する竹内栖鳳(せいほう)、菊池芳文(ほうぶん)、川合玉堂、都路華香(つじかこう)、上村松園(うえむらしょうえん)らの画家が多数輩出した。
93年に帝室技芸員となった。
月夜に照らされる竹と注連縄。この作品からは祇園祭を連想させます。
祇園祭の山鉾巡行で長刀鉾の稚児が注連縄切りを行いますが、その注連縄を張っている竹が斎竹だからです。
斎竹とは神事の時に不浄を防ぐために斎み清める場所に立てます。
【作者について】
幸野楳嶺(1844−1895)
日本画家。京都に生まれる。
本姓は安田。本名は直豊。字(あざな)は思順。号は楳嶺。別号に鶯夢、長安堂、鶴鹿園などがある。
9歳で円山(まるやま)派の中島来章(らいしょう)の門に入り、梅嶺と号した。
その後さらに四条派の塩川文麟(ぶんりん)につき、号を楳嶺と改めた。
明治維新のころは極貧であったが、漢籍を神山鳳陽に学び、また文人と交わり、
中西耕石、前田暢堂に南画を学んで一家をなし、とくに花鳥画を得意とした。
1880年(明治13)に望月玉泉(ぎょくせん)らと京都府立画学校を設立し、出仕した。
また京都青年絵画研究会、京都美術協会を組織するなど、日本画の発展と後進の指導に尽力した。
その門より京都画壇を代表する竹内栖鳳(せいほう)、菊池芳文(ほうぶん)、川合玉堂、都路華香(つじかこう)、上村松園(うえむらしょうえん)らの画家が多数輩出した。
93年に帝室技芸員となった。
全体図
落款
印章
軸先
表具
スタッフのおすすめポイント
月夜に照らされる竹と注連縄。この作品からは祇園祭を連想させます。
祇園祭の山鉾巡行で長刀鉾の稚児が注連縄切りを行いますが、
その注連縄を張っている竹が斎竹だからです。
斎竹とは神事の時に不浄を防ぐために斎み清める場所に立てます。
幸野楳嶺 斎竹図
- 作家名
- 幸野楳嶺
- 画題
- 斎竹図
- サイズ
- 103 × 33.3
- その他
- 時代色のついた杉箱に入っています。
- 金額
- 80000円
購入をご希望の方は、上部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
山添天香堂について
京都で一番老舗の書画専門店です。
創業107年分の知識と資料を誇っています。
創業107年分の知識と資料を誇っています。
こんなお客様に来ていただいています。
- 京都に観光に来られた方(外国の方も非常に多いです。)
- ちょっと季節の飾るものが欲しいとおっしゃる方
- 書画をコレクションされている日本人、外国人のお客様
- 日本美術をご研究されている大学の研究者の方、外国の研究者の方
- 国内、海外の美術館学芸員の方