鶴沢探索 筆 神猿図
【作品について】
日吉神社のお猿は魔除けの象徴として扱われていました。
神猿は「まさる=魔が去る、勝る」と呼ばれ、大変縁起の良いお猿さんなのです。
京都では御所を初めとして武家屋敷などの鬼門に神猿をおまつりしました。
その神猿を作品の中心に置き、その背景には日吉大社が描かれています。
依頼主は作者の鶴沢探索に家の魔除けのためにこの作品を描いて欲しいと依頼したものと想像されます。
もしくは依頼主が申年生まれで猿との縁を大切にしていた方だったのかもしれませんね。
【作者について】
鶴沢探索(1729〜1797)
江戸時代中期に活躍した狩野派の絵師。鶴沢派三代目。名は守煕。探索は号で、若年時の通称は式部。
鶴沢派の祖であり探索の祖父・探山は狩野探幽の弟子で探幽四天王に数えられることもあるほどの実力を持った絵師でした。探山の子・探鯨は父から学んだ狩野派様式の絵だけでなく、大和絵や琳派など他流派風の絵も描きました。そしてそれが鶴沢派の特徴となり、探鯨に学んだ探索や他の弟子たちにも受け継がれました。
探索が当主を務めた頃、鶴沢派の京都における地位は高まりつつあり、寛政度禁裏御所の造営時に、朝廷お抱え絵師である土佐家の補佐役を命じられるほどでした。
日吉神社のお猿は魔除けの象徴として扱われていました。
神猿は「まさる=魔が去る、勝る」と呼ばれ、大変縁起の良いお猿さんなのです。
京都では御所を初めとして武家屋敷などの鬼門に神猿をおまつりしました。
その神猿を作品の中心に置き、その背景には日吉大社が描かれています。
依頼主は作者の鶴沢探索に家の魔除けのためにこの作品を描いて欲しいと依頼したものと想像されます。
もしくは依頼主が申年生まれで猿との縁を大切にしていた方だったのかもしれませんね。
【作者について】
鶴沢探索(1729〜1797)
江戸時代中期に活躍した狩野派の絵師。鶴沢派三代目。名は守煕。探索は号で、若年時の通称は式部。
鶴沢派の祖であり探索の祖父・探山は狩野探幽の弟子で探幽四天王に数えられることもあるほどの実力を持った絵師でした。探山の子・探鯨は父から学んだ狩野派様式の絵だけでなく、大和絵や琳派など他流派風の絵も描きました。そしてそれが鶴沢派の特徴となり、探鯨に学んだ探索や他の弟子たちにも受け継がれました。
探索が当主を務めた頃、鶴沢派の京都における地位は高まりつつあり、寛政度禁裏御所の造営時に、朝廷お抱え絵師である土佐家の補佐役を命じられるほどでした。
全体図
落款印章 :落款:法眼探索筆/ 印章:寉澤
軸先: 漆塗
表具:三段表装
スタッフのおすすめポイント
日吉大社のお猿は魔除けの象徴として扱われていました。
神猿は「まさる=魔が去る、勝る」と呼ばれ、大変縁起の良いお猿さんなのです。
京都御所の鬼門(東北)に神猿が祀られているのも、日吉大社の神猿からきています。
江戸時代の絵画は、江戸時代の人に好まれた絵が描かれていますから、現代人の感覚では一見薄暗く古臭く感じる作品もあります。
そんな中でこの作品は、鮮やかな彩色のある作品で明るさがあります。
主役である帽子(烏帽子)を被った猿は可愛らしくユーモアがあり、作品自体が当時一流の絵師が描いただけあって質が高いですから、たとえ洋風なお宅に飾ったとしても古臭さを感じさせず、むしろ和モダンな雰囲気にしてくれます。
鶴沢探索 筆 神猿図
- 作家名
- 鶴沢探索
- 画題
- 神猿図
- サイズ
- 96.5 × 34.5
- その他
- 桐箱に入っています。
- 金額
- 280,000円
購入をご希望の方は、上部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
山添天香堂について
京都で一番老舗の書画専門店です。
創業107年分の知識と資料を誇っています。
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こんなお客様に来ていただいています。
- 京都に観光に来られた方(外国の方も非常に多いです。)
- ちょっと季節の飾るものが欲しいとおっしゃる方
- 書画をコレクションされている日本人、外国人のお客様
- 日本美術をご研究されている大学の研究者の方、外国の研究者の方
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