長三洲 白衣観音図画賛
【作品について】
幕末明治活躍した文人・長三洲が描いた白衣観音図です。
山水や花卉など南画の画題は見られますが、このような仏画は珍しいです。
自由闊達な筆線ではありませんので、
何か元の絵を写した作品であると考えます。
【作家について】
長三洲 1833―1895
幕末から明治中期にかけての漢学者、書家。漢詩、南画でも非凡であった。
豊後(ぶんご)国(大分県)日田郡馬原村に生まれる。
名は炗(ひかる)、字(あざな)は世章、秋史。通称富太郎、光太郎。三洲は号。
15歳で広瀬淡窓(たんそう)の門に入り、秀才の聞こえ高く、のち大坂に出て淡窓の末弟旭荘(きょくそう)の塾長となった。
その後長州の奇兵隊に加わり、攘夷(じょうい)を実行した。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争にも参加して功があった。
明治になって東京に出て明治政府の文教面の高官を歴任した。著書に『楷書天地帖(かいしょてんちちょう)』『行書孤憤帖(ぎょうしょこふんちょう)』、『三洲居士集』五冊など。
幕末明治活躍した文人・長三洲が描いた白衣観音図です。
山水や花卉など南画の画題は見られますが、このような仏画は珍しいです。
自由闊達な筆線ではありませんので、
何か元の絵を写した作品であると考えます。
【作家について】
長三洲 1833―1895
幕末から明治中期にかけての漢学者、書家。漢詩、南画でも非凡であった。
豊後(ぶんご)国(大分県)日田郡馬原村に生まれる。
名は炗(ひかる)、字(あざな)は世章、秋史。通称富太郎、光太郎。三洲は号。
15歳で広瀬淡窓(たんそう)の門に入り、秀才の聞こえ高く、のち大坂に出て淡窓の末弟旭荘(きょくそう)の塾長となった。
その後長州の奇兵隊に加わり、攘夷(じょうい)を実行した。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争にも参加して功があった。
明治になって東京に出て明治政府の文教面の高官を歴任した。著書に『楷書天地帖(かいしょてんちちょう)』『行書孤憤帖(ぎょうしょこふんちょう)』、『三洲居士集』五冊など。

全体図

賛文

落款

表具

軸先
スタッフのおすすめポイント
幕末明治活躍した文人・長三洲が描いた白衣観音図です。
山水や花卉など南画の画題は見られますが、このような仏画は珍しいです。
自由闊達な筆線ではありませんので、
何か元の絵を写した作品であると考えます。
長三洲 白衣観音図画賛
- 作家名
- 長三洲
- 画題
- 白衣観音図画賛
- サイズ
- 104.3 × 29.8
- その他
- 桐箱に入っています。
- 金額
- 60,000円
購入をご希望の方は、上部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
山添天香堂について
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創業107年分の知識と資料を誇っています。
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