
太田垣蓮月 墨梅図画賛
【作品について】
鶯と梅の和歌を詠み、そこに自筆の墨梅図を添えた春の作品。
「うぐいすの都にいでん中やどにかさばやと思う梅咲にけり」
【作者について】
大田垣蓮月1791〜1875.. 京都
江戸時代末期の歌人。本名,誠 (のぶ) 。
幕末の女流歌人として野村望東尼と並び称される。父は伊賀上野の藤堂金七郎,母は京都三本木の女性といわれる。
生後 10日余で知恩院寺侍大田垣光古の養女となった。 33歳の年2度目の夫古肥 (ひさとし) と死別。剃髪して蓮月尼と称した。子供に先立たれ,42歳で父を失い,清貧,孤独な生涯をおくった。
父の死後,陶器を作り,自詠を書入れたものが人気を得たが,売上げは貧者に施した。小沢蘆庵に私淑,勤王家六人部是香 (むとべよしか) に入門。橘曙覧 (あけみ) と親交があり,富岡鉄斎をわが子のようにかわいがった。和歌は平明な叙景歌が得意で,書画,なぎなた,囲碁にも長じた。家集『海人 (あま) の刈藻』 (1870) がある。
鶯と梅の和歌を詠み、そこに自筆の墨梅図を添えた春の作品。
「うぐいすの都にいでん中やどにかさばやと思う梅咲にけり」
【作者について】
大田垣蓮月1791〜1875.. 京都
江戸時代末期の歌人。本名,誠 (のぶ) 。
幕末の女流歌人として野村望東尼と並び称される。父は伊賀上野の藤堂金七郎,母は京都三本木の女性といわれる。
生後 10日余で知恩院寺侍大田垣光古の養女となった。 33歳の年2度目の夫古肥 (ひさとし) と死別。剃髪して蓮月尼と称した。子供に先立たれ,42歳で父を失い,清貧,孤独な生涯をおくった。
父の死後,陶器を作り,自詠を書入れたものが人気を得たが,売上げは貧者に施した。小沢蘆庵に私淑,勤王家六人部是香 (むとべよしか) に入門。橘曙覧 (あけみ) と親交があり,富岡鉄斎をわが子のようにかわいがった。和歌は平明な叙景歌が得意で,書画,なぎなた,囲碁にも長じた。家集『海人 (あま) の刈藻』 (1870) がある。

全体図

落款

和歌

絵

表具

軸先

状態

状態

箱

箱
スタッフのおすすめポイント
鶯と梅の和歌を詠み、そこに自筆の墨梅図を添えた春の作品。
「うぐいすの都にいでん中やどにかさばやと思う梅咲にけり」
太田垣蓮月 墨梅図画賛
- 作家名
- 太田垣蓮月
- 画題
- 墨梅図画賛
- サイズ
- 24 × 57.8
- その他
- 時代色のついた杉箱に入っています。
- 金額
- 200,000円/商談中円
購入をご希望の方は、上部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
山添天香堂について
京都で一番老舗の書画専門店です。
創業107年分の知識と資料を誇っています。
創業107年分の知識と資料を誇っています。
こんなお客様に来ていただいています。
- 京都に観光に来られた方(外国の方も非常に多いです。)
- ちょっと季節の飾るものが欲しいとおっしゃる方
- 書画をコレクションされている日本人、外国人のお客様
- 日本美術をご研究されている大学の研究者の方、外国の研究者の方
- 国内、海外の美術館学芸員の方