
菅茶山 漢詩 楠公墓畔
【作品について】
誠忠の人物として名高い楠木正成のかつての業績を忘れたのか、
彼の史跡を訪れる人もいない、と淋しい気持ちを詠んだ詩です。
菅茶山48歳の詩。
• 千歳の恩讐 両つながら存せず
• 風雲長えに為に 忠魂を弔う
• 客窓一夜 松籟を聴く
• 月は暗(黒)し 楠公 墓畔の村
【作者について】
菅茶山 1748-1827
江戸中・後期の漢詩人。本来は菅波氏だが,修姓して菅。
名は晋帥,字は礼卿,通称は太中(太仲とも)。茶山は号。
諡 を文恭先生。
備後国(広島県)神辺で農業と酒造業を営んだ菅波久助(号を樗平)の長男。明和3(1766)年19歳で上洛し,那波魯堂に入門して朱子学を修めた。以後,しばしば上方に遊び,頼春水,葛子琴,中井竹山など大坂の混沌詩社の詩人たちと交遊した。
天明初年34歳のころ故郷神辺に黄葉夕陽村舎と名付ける私塾を開き,村童の教育に携わることになった。これはのちに郷塾となり広く知られるようになって名も廉塾と改め,頼山陽,北条霞亭などが塾頭を務めた。
詩人としては宋詩風の写実的な田園風俗詩を得意とし,村夫子然とした人柄で人々に親しまれた。詩文集に『黄葉夕陽村舎詩』,随筆に『筆のすさび』などがある。
誠忠の人物として名高い楠木正成のかつての業績を忘れたのか、
彼の史跡を訪れる人もいない、と淋しい気持ちを詠んだ詩です。
菅茶山48歳の詩。
• 千歳の恩讐 両つながら存せず
• 風雲長えに為に 忠魂を弔う
• 客窓一夜 松籟を聴く
• 月は暗(黒)し 楠公 墓畔の村
【作者について】
菅茶山 1748-1827
江戸中・後期の漢詩人。本来は菅波氏だが,修姓して菅。
名は晋帥,字は礼卿,通称は太中(太仲とも)。茶山は号。
諡 を文恭先生。
備後国(広島県)神辺で農業と酒造業を営んだ菅波久助(号を樗平)の長男。明和3(1766)年19歳で上洛し,那波魯堂に入門して朱子学を修めた。以後,しばしば上方に遊び,頼春水,葛子琴,中井竹山など大坂の混沌詩社の詩人たちと交遊した。
天明初年34歳のころ故郷神辺に黄葉夕陽村舎と名付ける私塾を開き,村童の教育に携わることになった。これはのちに郷塾となり広く知られるようになって名も廉塾と改め,頼山陽,北条霞亭などが塾頭を務めた。
詩人としては宋詩風の写実的な田園風俗詩を得意とし,村夫子然とした人柄で人々に親しまれた。詩文集に『黄葉夕陽村舎詩』,随筆に『筆のすさび』などがある。

全体図

落款

印章

軸先

表具

関防印
スタッフのおすすめポイント
誠忠の人物として名高い楠木正成のかつての業績を忘れたのか、
彼の史跡を訪れる人もいない、と淋しい気持ちを詠んだ詩です。
菅茶山48歳の詩。
菅茶山 漢詩 楠公墓畔
- 作家名
- 菅茶山
- 画題
- 漢詩 楠公墓畔
- サイズ
- 112 × 31.5
- その他
- 桐箱に入っています。
- 金額
- 50,000円
購入をご希望の方は、上部の「お問い合わせ」よりご連絡ください。
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創業107年分の知識と資料を誇っています。
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